2007年の秋の天皇賞は1番人気のメイショウサムソンが武豊の鞭に応えて見事に勝利し、天皇賞春秋連覇を達成した。「魔物の棲む府中」と言われ、格式高いにもかかわらず1番人気がことごとくアクシデントに見舞われ負けることの多いこのレースで、そのジンクスを跳ね除けて勝利した馬にゴール後のウイニングランで大きな声援があがった。ハズレ馬券をしまい、武豊の勝利インタビューを聞きながら、私は「魔物が棲む」と信じるようになった所以を思い出す。本来なら、10年前のあのレースは、武豊を乗せたあの馬が後続をちぎって楽勝するはずだった。ところが、伝説になるはずだったレースは4コーナーの大ケヤキの向こうで終わってしまったのである。
馬は、人間で言うと4歳児ほどの知能があり騎手や厩務員とのコミュニケーションを理解し従順に命令に従うことができる。一方で、いくら矯正を試みても直せない癖を持つ馬もいる。牧場の柵を噛み続けてしまう、後ろ脚で誰彼かまわず蹴り上げてしまうといった行動がそれにあたり、獣医の間では「自閉症状」と呼ばれているらしいが、人間に用いる意味とは異なるようである。こういった癖は競走馬にとって当然好ましいものではなく、たいがいの馬はレースに出走しても能力を出し切れないことが多い。
今でも「音速の貴公子」と称されるサイレンススズカは、「寝床の馬房で眠くなるまで左回りに走り続ける」という癖を持っていた。デビュー当時から気性が荒く、レースでは鞍上の騎手の命令に常に逆らって力を発揮できず、結局他馬に大敗してクラシックシーズンを終えた。レースの前だろうが後だろうが「馬房を走り回る」癖は改善せず、「大切なレースの前に疲労しては困る」と心配した調教師がなんとか癖を矯正しようと走り回れないほどの狭い馬房にサイレンススズカを押し込めたところ、彼は目を剥いて怒り抵抗したという。次のレースはこれまでよりもひどい内容で全く走る気を見せずに大敗した。
「自由人の自由を奪ってはならない」という格言通りだった。調教師は頭を下げてサイレンススズカに謝り広い馬房に戻すと、彼は大喜びで深夜までずっと走り続けていたという。
この馬に天才・武豊は可能性を見出していた。鞍上に武豊が乗るようになってからは、無理に馬を抑えようとせずに「馬の気に任せて好きに走らせてみる」ことにしたのだ。この大逃げ戦術を試したところ、サイレンススズカは実に気持ち良さそうに走るようになり楽勝劇を何度も見せつけるようになる。4歳になってからG1宝塚記念を含む6連勝、「日本最強馬」と呼ばれるようになった彼は今年最大の目標である秋の天皇賞へ向かう。
秋の天皇賞に出走してきたサイレンススズカは単勝1.2倍の圧倒的な人気に押し上げられていた。当時の私も、伝説のレースを見ようと深夜バスで地方から東京・府中のスタンドへ来ていた。翌年にはアメリカ遠征も予定されており、10万人以上を収容したスタンド内でもこのレースはサイレンススズカが勝つのが当然という空気が漂っていた。大歓声とファンファーレのあと、ゲートが開きいっせいに馬が飛び出した。
順調にスタートを切ったサイレンススズカはいつものように後続を大きく引き離して、一人別世界を旅するように逃げていた。スタンドから「誰か追いかけろ!」と声が上がっていたが、そんな声は空しいだけだった。他の馬が出すトップスピードは速い馬でも62km/h程度、サイレンススズカは62km/hで楽々逃げているのである。向こう正面から4コーナーに入る、ちょうど大ケヤキの向こうあたりで65km/hくらいに加速するはずだ。一人旅を続けるサイレンススズカの姿が、大ケヤキの影に一瞬だけ消えた。
次に私が見たのは、大スクリーンに映し出された、脚を引きずりながらコースの外によれていくサイレンススズカだった。悲鳴が府中競馬場のあちこちであがった。
左前脚粉砕骨折、予後不良で安楽死。
伝説になるはずだった馬は、その半ばで魔物に喰われて命を落とした。
騎手を乗せた馬の脚は60km/h程度が限界で、本能でそれがわかっている競走馬はそれ以上のスピードは決して出さない、と、現在では言われている。サイレンススズカは、本能によるブレーキが効かなかったのだろうか。過剰なスピードによる過負荷に、前脚が耐えられなかったのだろうか。
競走馬の本能を突き破った先の「自由」という悦楽を、彼は感じていたのだろうか。
当時の武豊が、「原因はわからないのではなく、ない!」と怒って記者に言い放ったとおり、何が原因であったかは当時の私には知ることが出来なかった。
今年のメイショウサムソンは確かに強い。今後はもっと活躍するだろう、と可能性を感じたレースだった。でも、私の中では、私がまだ競馬を覚えたての頃に出会ったあの伝説の名馬サイレンススズカには並ぶことはなさそうである。
あれから10年が経ち、一つの念願が叶った。サイレンススズカの生まれ故郷、稲原牧場にお邪魔してサイレンススズカの墓をお参りすることができた。左回りが好きだった彼らしく、左を向いて眠っているのだという。10年振りの再会に感激し、他の観光客が気味悪がって遠ざかるくらい私は涙が止まらなかった。
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