(2010年機関誌に寄稿)
2000年5月20日。土曜競馬でしかも天候は雨、いつもなら空いているはずの競馬場が今日はなぜか多くの人で混んでいた。そして、なぜか私もそこに居た。私の場合は、部活動の練習が雨で中止となってしまい、せっかくの早起きが無駄になってしまったためにふらりと来てしまっただけだったが、ある馬のファンにとっては、この日は何かが起こる予感がしていた日だったのかも知れない。
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(2010年機関誌に寄稿)
2000年5月20日。土曜競馬でしかも天候は雨、いつもなら空いているはずの競馬場が今日はなぜか多くの人で混んでいた。そして、なぜか私もそこに居た。私の場合は、部活動の練習が雨で中止となってしまい、せっかくの早起きが無駄になってしまったためにふらりと来てしまっただけだったが、ある馬のファンにとっては、この日は何かが起こる予感がしていた日だったのかも知れない。
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(2009年機関誌に寄稿)
入局してから私が過ごした3年間は、かの名馬オグリキャップが1988年に中央に移籍してから1990年に引退するまでの3年間と同じ年月である。中央入りしてから有馬記念で引退するまでの「競馬の歴史を動かした」とまで言われる彼の3年間は、輝かしい年月だったと評価されることが多い。しかし実際には、人の欲望と風評に振り回され、それに抵抗し続けた3年間であった。
このサイトの隅っこにある文章をなぜコピペしているのか?
ウマ娘 が流行っている(遅い)からに決まっているじゃないですか!
いつも夏前から秋くらいまでしか更新しないブログですが、
せっかく書いた文章を埋もれされるのはもったいないので、
ここに転記しておきます。
物凄い閲覧数みたいですよ(グーグルさん調べ)
(2007年 某機関誌に寄稿)
2007年の秋の天皇賞は1番人気のメイショウサムソンが武豊の鞭に応えて見事に勝利し、天皇賞春秋連覇を達成した。「魔物の棲む府中」と言われ、格式高いにもかかわらず1番人気がことごとくアクシデントに見舞われ負けることの多いこのレースで、そのジンクスを跳ね除けて勝利した馬にゴール後のウイニングランで大きな声援があがった。ハズレ馬券をしまい、武豊の勝利インタビューを聞きながら、私は「魔物が棲む」と信じるようになった所以を思い出す。本来なら、10年前のあのレースは、武豊を乗せたあの馬が後続をちぎって楽勝するはずだった。ところが、伝説になるはずだったレースは4コーナーの大ケヤキの向こうで終わってしまったのである。
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さて、最後の「雑多な種牡馬」を仕上げて締めくくろうと思います。