(2010年機関誌に寄稿)
2000年5月20日。土曜競馬でしかも天候は雨、いつもなら空いているはずの競馬場が今日はなぜか多くの人で混んでいた。そして、なぜか私もそこに居た。私の場合は、部活動の練習が雨で中止となってしまい、せっかくの早起きが無駄になってしまったためにふらりと来てしまっただけだったが、ある馬のファンにとっては、この日は何かが起こる予感がしていた日だったのかも知れない。
メインレースはGⅡ目黒記念。大逃げを打った馬が直線で捕まり、団子状態になった馬群から黒く小柄な馬が抜け出して先頭に立つと、大きな歓声が上がった。その馬ステイゴールドが、2年8カ月ぶり28連敗のあとにゴールを先頭で駆け抜けると、歓声はやがて大きな拍手に変わった。私も自然と拍手をしていた。
ステイゴールド牡6歳、馬の世界で言えば立派な中年である。この目黒記念前までは、全37戦3勝2着12回3着8回、重賞未勝利。とにかく気性が荒く騎手の言うことを聞かず、直線を真っ直ぐに走らないことなど当たり前。ゴールに向かわず逆走してしまうこともあった。それでも、強い馬が相手であれば気合いが入るのか、必死に追い詰めるもののわずかに届かず2着で終わってしまう、そんな馬だった。サイレンススズカやスペシャルウィークといった超のつく名馬を相手に積み重ねた2着の数を揶揄されて、「名はゴールドなのにシルバーメダルコレクター」などと呼ばれていた。
何より彼は人気者であった。雄大な馬格の馬に混じると彼の小柄な馬体は決して見栄えはしなかったが、「負けるものか」とばかりに前の馬に食らい付く姿に心を動かされ、次第にファンが増えていった。
強いもの、派手なものに憧れる人がいたように、何度負けても勝つまで頑張る姿に共感する人もいたのだろう。
そんな多くのファンが、何かの予感を抱いて来ていたのが2000年5月20日だったのかも知れない。デビュー以来手綱を取ってきた熊沢騎手からリーディング騎手の武豊に乗り替わり、その予感が的中しやっとのことで勝利を挙げたステイゴールドに、拍手を送りながらも「少し寂しいな」と隣の中年男が呟くのが聞こえた。
このままステイゴールドは他の名馬と同じように、GⅠを勝ちまくって強さを見せるのだろうか。ここまで彼を応援してきた「勝てない」ファンにとっては、今日が彼とのお別れなのかも知れない。私は、当時は前途洋々だった(と思い込んでいた)こともありステイゴールドにはあまり共感できなかったが、それでも少し寂しい気持ちになった。
だが、ステイゴールドはまるで彼のファンを大事にするかのように「勝てない」レースを続けた。その後GⅠを4戦して4着、7着、8着、7着。6歳という年齢を考えると、馬体は衰えて始めているのかも知れない。もしかしたら、目黒記念が最後のゴールドメダルになってしまうのではないか。当時流行り始めていたインターネットの掲示板には悲観的な内容が書かれていた。
21世紀が明けた2001年3月に、7歳になったステイゴールドの陣営は海外レース・GⅡドバイシーマクラシックへの挑戦を決定した。「国内でGⅠを勝てないのに、海外なんて無謀だ」などと非難する声もあった。実際に、相手は世界最高峰のレースを勝っている馬ばかりで、中でもエミレーツワールドシリーズ(競馬世界ランキング)トップのファンタスティックライトが有力視されていた。
レースは最後の直線までペースが緩まない厳しいものになった。残り200mで抜け出したのはやはりファンタスティックライトだった。厳しいペースを走ってきた後ろの馬に、ファンタスティックライトを抜くだけの力はない。と諦めかけた時、いつものように馬群を抜けて、黒く小さな馬がファンタスティックライトの後ろを追いかけてきた姿をテレビカメラが捉えた。
ドバイでは馬券は存在せず、賭け金も配当金も存在しない。純粋にレースを楽しむ観客が集まっている。そのドバイの競馬場であの目黒記念と同じように大きな歓声が上がったのは、この日のステイゴールドに「何かが起こる予感」を抱いてわざわざ砂漠の国の競馬場まで多くの日本のファンが詰めかけていたということだろう。
大歓声に後押しされるように、ステイゴールドはファンタスティックライトを一歩一歩追いつめ、ほとんど同時にゴールした。写真判定の結果、ステイゴールドが数㎝の差で勝っていた。応援し続けた人にとっては嬉しい結果だったに違いない。生中継を見逃した私は非常に残念だった。
その後、日本に凱旋帰国したステイゴールドだったが、国内ではまたしても勝てないレースを続け、ついに年内での引退が発表された。国内最終GⅠの有馬記念がラストランになると思われたが、陣営はラストランに再び海外遠征を発表、「相手が強い馬でこそステイゴールドの真価が発揮される」との談話が新聞に載せられた。ラストランは香港競馬場で行われる香港ヴァースに決定した。
「引退後種牡馬になるのにGⅠ未勝利では厳しい。海外GⅠを勝ってようやく種牡馬の価値が示せる」
といった憶測や、
「香港で馬の名前の漢字表記をしてもらいたいだけだろう」
などというジョークまで噂されたが、馬主や調教師は否定も肯定もしなかった。これは彼の生涯50回目のレース参戦になる。
このレースには、かつて敗れたファンタスティックライトを所有するアラブの石油王が、まるで打倒ステイゴールドを掲げるかのようにエクラールという馬を登録していた。エクラールはヨーロッパで活躍した逃げ馬で、後ろの馬に追いつかせない逃げ切りレースをするのがとても上手かった。もしかしたら、ステイゴールド陣営とアラブの石油王の間に何かの密約があって、香港が対決の場に選ばれたのかも知れないが、それは私の妄想である。
香港競馬場にステイゴールドが入場した時に、大きな歓声が上がった。やはり、彼を追い続けたファンもそこに行っていたのだろう。国内レースでは「応援するけど、勝って欲しくない」などと考えて、レースが始まるまでは静かに黙っていることの多かった彼のファンも、彼の引退レースの場に臨んでようやく素直に応援できるようになったのだろうか。国内では、入場の時に暴れることの多いステイゴールドも、ちゃんと自分の最後のレースを理解しているかのように静かに馬場入りしていった。
オッズの上では、大した実績のないステイゴールドが断然の一番人気。海外のGⅠなのに、日本人が大量にステイゴールドの単勝馬券を購入していたからである。記念馬券だと思うが、ひょっとしたら、「何かが起こる予感」がこの時ファンの中にあったのかも知れない。インターネット中継を見ていた私の中にも、確かにその予感はあった。
レースは思った通りの展開になった。エクラールなど数頭が先頭集団を作り、後ろは壁になって前に行けない。ステイゴールドは大柄な馬に囲まれて揉みくちゃにされていた。最終コーナーを曲がってエクラールが余裕を残して先頭に立った時には後ろとは6馬身ほど離れていて、次にようやくステイゴールドが馬群を抜け出した時には
もうその差は絶望的に思えた。
中継映像の音声からも、悲鳴とため息が聞こえていた。
だが、ステイゴールドはわかっていた。
これまで勝てなかったときにも、
応援してくれたファンや、
ずっと世話をしてくれた厩舎のスタッフのこと。
これまで気分の悪い時には暴れていたのに、
ファンが増えて注目されるようになり、
暴れるのを我慢できるようになったこと。
そして、
あの目黒記念と同じ歓声が、ドバイでも、そして香港でも自分を後押ししてくれていること。
残り200m。
彼はジェットエンジンでも積んでいるかのような、馬の構造限界を超えた(と、少なくとも私には思えた)加速を見せ、6馬身あったエクラールとの差をあっという間に詰めて横に並んだ。しばらく二頭が並走し、エクラールが苦しくなり首を上げ、ステイゴールドが首を伸ばしたところがゴールであった。
ステイゴールド1着!
中継のアナウンサーが泣いて声を詰まらせた。香港の観衆からも大きな拍手が沸き上がった。ゴール後、誇らしげにテレビに映る彼のゼッケンには、ステイゴールドの香港馬名(漢字名)「黄金旅程」の金の刺繍が光っていた。
彼が歩んだドラマティックな軌跡を飾るタイトルにふさわしい当て名だった。
通算成績50戦7勝2着12回3着8回。
ステイゴールドの陣営が、ここまで何もかもわかっていたのだとしたら、なんという憎い演出だろうか。気性の悪い彼を苦労しながら管理し続けた陣営にとっても、この軌跡は黄金の旅程であったと、私は考えている。
環境が変わっても、努力を続けること。
ステイゴールドほど人気がないにしても、どこかでひょっとしたら応援してくれているかも知れない誰かのために、頑張り続ける必要がある、のでしょうか。大変ですけれども。
2006年、北海道にツーリングに行った際に、社台牧場で種牡馬となったステイゴールドにも会うことができた。名前を呼ぶと近づいてきたが、人に噛みつく癖があるそうなので触らせてはもらえなかった。気性の悪さは残っているらしい。あの頃はまだ駆け出しの種牡馬だったが、その数年後。2010年にステイゴールドの息子のナカヤマフェスタが世界最高峰のレース凱旋門賞でわずかの差で2着になった。世界ナンバー1のレースでよくやった、と、賞賛するのは競馬歴の浅いファンで、ステイゴールドを知るファンであれば、
「親子でシルバーメダルコレクターか、あと何回か挑戦すれば1着だな」
と笑えたと思う。ステイゴールドの子供は根性があって負けず嫌いで末脚が鋭い馬が多いと評判で、息子の活躍もあって来年はさらに優秀な繁殖牝馬が用意されるだろう。ステイゴールドは引退後も種牡馬として黄金の旅路が用意されていそうだ。
私はまだ当分は苦しい現役生活を続ける必要があるが、いつかはいいことがあるのではないか。ステイゴールドを思い出すと、そんな気持ちになれるのである。